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《ツラツラツラーッと紀貫之 NO.1 / まだまだ青い真夏の果実、僕らは捨てない消費しない世界を目指しちゃってるつもりの助 》 (ツラツラツラーッと紀貫之)

展示会へ行くと、こっ、こんなにあるんかい!こんなに作ってどうすんじゃい!じゃじゃいじゃい!って、ぶったまげる程に、いっぱい物があるんだけど、ずっと使い続けたくなるような物、使い続ける事ができるような物というのは、あまりに少ない、ように感じる。スコープは、ずっと使い続けられる物をと、真剣に選んでいるから、なかなかラインナップを増やすのは難しい。だけれども、こうしてずらっと並べてみれば、かなり集まってきたではないかと、見ていて晴れ晴れしい気分になる。ベストアルバムが出来た時のミュージシャンの感覚もこんなんだろうか。これだけ厳選するのには実に時間がかかったわけで15年の集大成ともいえる。って、まだ全然途中なんだけど。ただ、最近大人の渋みが増し過ぎてか、キャッチーさにはかけている。僕も若かりし頃は、シリコンで出来たタオルハンガーだとか、デザイナーの奇抜なデザインアイテムなんかを手にして喜んでいたわけだけれど、それらは一体全体どこへ行ってしまったのだろう。消息不明。いい物だったら、気に入っている物だったら、今も僕の手元に、ここにあるだろうに、残念ながらどこかで気付かぬうちに離脱してしまったようで、ここには多分ない。どうしたかの記憶すらない。やはり、ずっと手元にある物には、特別な何かがある。あるのだ。それは何かと言葉では書きづらいけれど、どこか品みたいな、ずっしりと感じる重さがある。そういう物はキャッチーさに欠ける。だから僕らのラインナップはって理由づけもしておく。そんな使い続けられる物を集めていく事は、とてもいい事だなと、ここまで歩みを進めてみて思う。だって、ゴミにならないのだから、捨てないのだから、その持っている物については、新たに買う必要がないわけだから。そんなわけだから、生活は充実していくし、新分野の良い物を取り入れる事ができるようになり、幅が広がる。日用品が充実すれば、装飾にも予算を組めるというものだ。ゴミになってしまえば、いくら安いとはいえ、永遠に買換え続けなくてはいけない。それは、もうゴミを買うやうなもの。早々に卒業をした方がいい。大人の階段をのぼったほうがいい。エイチツーオーも歌っているではないか。良い物を手に、使い続ける事は本当にいい事だ。夏休みに実家へ帰って、久しぶりにご飯を食べたら、懐かしく珍しい食器がテーブルを埋め尽くしていた。スコープを始めた頃から、少しづつスコープの取扱品を実家に贈り続けていたからだ。それらが現役で活躍し続けていて、完全に降り積もっている。今では買えない廃番品も多く、オークションでちょっと値がついてしまうような食器が、田舎の古いどこにでもある民家の食卓に並んでいる。その光景は、少しアンバランスで、そこがまた心地よい。良い物はずっと使い続けてくれる。僕の母親も気に入って大事に使っているからの結果だ。結局、自分の家にある物達が、何年もかけて降り積もった価値観とセンスの集大成のようなもの。それがどんな価値なのか?それは引越しをすればよくわかる。どれも捨てて新たに買い換えたいと思うのか、何一つ捨てる物がなくて、多い物を誰かに譲るか売るかと考えるか。ベンチマークは不燃ごみ袋の数か。捨てる物がないって言う事程、素晴らしいことはない。そんな誰も捨てない使い続ける世の中になってしまったら、スコープは売れなくなって倒産だ。その考えは美しいけれど、矛盾しているよって教えてくれる人がいたんだけど、そんな世の中になって倒産するのなら、それは本望。ハローウェルカメ。そもそも、そんなに世の中を大きく変える力は僕らにはないから、心配ご無用ではあるのだけれど。まー、これからも真面目にやっていきますので、どうぞ宜しく。

text:シャチョウ